熱田神社物語
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宝の玉を持つ竜を探そう
今から250年前、溝口の人々の浄財だけでこのお宮を作りました。
力みなぎる竜や獅子、楽しげに遊ぶ唐子(からこ)など、先人の匠(たくみ)たちが手(た)向けた霊宝の数々が遺されています。
竜の彫り物が全部で25体あり、その中に宝の玉を持つ竜がいます。探し当てて触ってお参りください。きっと健康で幸せになるといわれています。
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神社と大蛇とのかかわり
熱田神社の始まりは太古の昔へとさかのぼります。
日本武尊(西暦72~113)は、日本の各地で力をみせつけた帰り道、ここより少し奥の戸台の河原に降りたとき、大蛇が襲いかかりました。
草薙の剣を振りかざすと目もくらむような閃光がはしり、おびただしい血が飛び散りました。
その血は河原一面を赤くそめ今でもそこは赤河原と呼ばれています。
大蛇の頭をかつぎ河原をくだりました。溝口村まで来たとき桑の大木の下に葬り小さな祠を作りました。
村人は、大蛇を倒してくれたヤマトタケルに手を合わせ、祠(神社)にお参りするようになりました。
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子供のころの善八
生まれながらに体が弱く、目も患っていた善八は、母に連れられ熱心に熱田神社にお参りし、丈夫で目がよく見えるようになったらきっと立派大工になって恩返ししますと願いました。
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立派な宮大工となった善八
そんな願いがつうじたのか身体も目もすっかり良くなり、武蔵の国(埼玉県)の立派な宮大工の棟梁のもとへ弟子入りして、いつか恩返しできるようにと大工の修行に精をだしていました。
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困った村人
そのころ溝口村は三峰川の大水害や、はやり病で、村人は苦しい日々が続いて、お宮も屋根は腐り、雨漏りの修繕もされないままでした。
だれが言うでもなく、この災いはお宮を粗末にしたせいかもしれないということになり、庄屋さんのところに集まり相談しました。
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木の中から大蛇の骨
高遠藩の年貢の取立てにも苦労している人達もおおかったが、村の人達だけでお金をだしあい、御用材は境内のご神木のケヤキを使うことにしました。
ケヤキの大木は大きな音とともに倒れ、そこから大蛇の骨が現れました。ヤマトタケルが退治した大蛇の魂が木に宿っていたのです。
そこで、ご神木の根元に小さな祠※をつくり蛇骨様とよんでお祀りし無事の完成を願いました。
※本殿北側の「たかおかみ」神社
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立派な彫り物
大工善八は、上州(現群馬県)の左甚五郎と呼ばれた関口文次郎と共に戻ってきました。
「おれは今までにこんなすごい木を彫ったことがない。この木にには魂が宿っている。気持ちを込めてノミをふるい、ノミをあてると見事な竜や唐子の形が仕上がる。これは竜のご神木の力に違いない。それに加えてここは不思議な気のカが感じられる。」
それに後押しされるようにますます力を入れました。
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平成5年国重要文化財指定
熱田神社は、今から250余年前150戸ほどの小さなな村の人達だけの力と、大工高見警八と心の通じ合った上州の左甚五郎と呼ばれた名匠の関口文次郎、
それに色付け師、森田清吉とともに宝暦13年(1763)に5年をかけて、間口10尺6寸(約3.3m)、奥行9尺6寸(約2.9m)の三間社作りで、
規模は小さいながらも日光の流れを汲む特殊な手法と名工による彫刻で出来上がった貴重な文化財です。
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※このページは紙芝居「熱田神社物語」(溝口公民館作成)を元にして作成しました。
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